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フラダンス ドレスの下は・・・ [日記]


フラダンスを習い始めてもうすぐ2年になりますが、
なかなか上達もせず痩せもせず・・・
それでもクラスのみんなと踊るのが楽しくて続けています。

この前の日曜日の夏祭りでフラダンスを踊り
これでこの夏のイベントが終わりました。
下手なのに、見かけはバッチリ
ロングのつけ毛をつけ
つけまつ毛をつけ
素敵なドレスを着て
結構、それだけで満足の世界です・・・

そして私が密かに着用しているのは
なんと
ス・テ・テ・コ

最近はおしゃれなステテコが流行っているみたいですが
私は父の新しいステテコをもらって履いています。
ステテコは汗を吸収し 股ズレもせず
本当に重宝しております。
おしゃれなステテコを履けばかわいらしいのかもしれませんが、
誰に見せることもないので
オヤジの白い定番ステテコを履いております。

まさか、ドレスの下がステテコだとは
誰も想像しないでしょうね[わーい(嬉しい顔)]

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由布院からのハガキ [日記]

6月の終わりにハガキが届いた、1年前の私と彼から・・・
ちょうど1年前、私は幼馴染の彼と湯布院に旅行に行った。
その時立ち寄った「由布院美術館」で由布岳を眺めながら
彼と二人で1年後に届くハガキを書いた。
私は1年後の自分と彼に2枚のハガキを書いて美術館のポストに入れた。

届いた彼のハガキをみて思わず泣いてしまった。
楽しい旅行だったということが書いてあり、最後に
「このはがきが届いた時、幸せな日々が続いていることを願っています」
と書いてあった。
「好き」とか「愛してる」とか全然言わない人だったから
本当に私のこと好きなのかなと不安でお別れしたのが去年の12月。
でもこのハガキを読んで、彼は私のことを好きでいてくれたんだなあと思ったら
胸が締め付けられて、嬉しいような、悲しいような・・
よくわからない気持ちと涙があふれてきた。

そしてもう1枚は1年前の私から届いたハガキ。
「どうなっているのかな、1年後・・・」
と楽しい旅行中にもかかわらず、不安な気持ちをつづっていた。
最後は「1年後の私へ、素敵な毎日をおくっていることを願ってます」
と書いて終わっていた。

もし、彼とお別れしないで付き合っていたらどうなっていたんだろうか・・・
それが幸せな日々だったのだろうか・・
でも、今の自分が好き。
そして素敵な生活だと気に入っているからいいかな。

そして、私が1年後の彼にあてたハガキ。
ハガキが届いた日、
「未来の予想はバッチリでした」という彼からメールがあった。
私は彼に
「続かなくてダメになるだろうと何となくわかってました。
 なぜかというと最初からあなたは私のことを愛していなかったからです。
 多分、ずっと愛してくれないだろうなあと感じていました。
 女は愛されないと生きていけないのよね。
 『友情よ、永遠に!』だったかな?」
と返信した。
私はハガキに1年後は別れていると思うと書き最後に
「友情よ、永遠に!」

あの頃は彼を失いたくない強い思いとともに
別れを感じていた切ない時期だったなあ。
彼にメールを送ったらなんだかスッキリした。

1年前の恋の話でした。
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靴下発見 [日記]

友人とランチの約束をしていました。
車で迎えにくるというので表で待っていました。。。
植え込みにふと目をやると黒い物体が・・・
感じるものがあり近づいてよく見ると私の靴下でした。
数日前、洗濯物を畳んでいたら片方の靴下がなくて
(どこに行ったのかなあ)と思っていた片割れの靴下でした。

この靴下、実はすごいんです!
見た目は膝下の黒いハイソックスなんですけどお値段なんと5千円!
エステサロンのオーナーの友人のお勧めで購入しました。
体型補正下着の会社の加圧靴下です。
足首や土踏まずなどポイントをギューッと引き締めることによって
血行をよくして浮腫みや冷えを改善するという優れもの!
しかも、医療用に開発されたということで24時間着用OK!
この靴下を履いたら他の靴下がただの布切れに思えてしまう・・・
手放せない靴下となってしまいました。

なんらかのはずみで風に飛ばされて植え込みに落ちてしまったのでしょう。
2500円の靴下が見つかってよかったです。
パンツだったら見つからなかったかな・・・

スッポン [日記]

友人とスッポンを食べに行くことになり
生まれて初めてのスッポン!とても楽しみにしていました。

「今度スッポンを食べに行くよ」と妹に言ったら
「私は、絶対に食べたくない」と顔をしかめてました。
食べたことないのに何故そこまで言うのかあと思っていたら
どうやらスッポンとミドリガメが交尾している衝撃の場面を目撃したらしく
「考えただけで吐き気がする!」と言ってました。

妹の話は聞かなかったことにしました。。。

学生時代に付き合っていた彼氏が
バイト先のお寿司屋さんでスッポンの生き血を飲んだと言っていたその夜・・・
とてもスゴかった[黒ハート]思い出があり
それ以来、スッポンってスゴい!と思っていたので
精力つきすぎたらどうしよう・・とワクワクしていました♪

まずはスッポンの生き血から・・・
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お酒で薄めてありましたが、ほんとうに血の色で・・・
覚悟を決めて飲み干しました。

次はスッポンのお造り・・
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卵、卵管、脂身、心臓・・丁寧にお店の人が説明してくれました。
牛なら平気なのにスッポンと思うとなんだか気持ち悪くて・・・(ごめんなさい、スッポン)
そして妹の話がやたらと生々しく思いだされ
生ビールばかりがすすみました。
意気地なしでした・・・

スッポン鍋はおいしかったです!
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いいだしが出ていて本当にホッと落ち着く味でした。
コラーゲンたっぷりなのでお肌にもよさそう!
でもたまに骨付きスッポンの身に遭遇すると 心が暗くなりましたけど。。

翌日は二日酔いでした。
精力ついてムラムラではなく二日酔いでムカムカ・・
スッポンパワーを男性のように目で確認することも残念ながらできませんが、
でも、私が思っていたほどスッポンで精はつかないのではないか と思いました。
あの思い出はスッポンがスゴいというよりも
若かっただけだったのかもしれません・・・

お肌は・・・
酔っ払って化粧も落とさず寝てしまったので
寝起きの顔はひどいものでした・・・
コラーゲンはどこ?って感じ。

もう、スッポンはわざわざ食べなくてもいいなあ。

人生の贈りもの [日記]

お昼ごはんを食べながらNHKの「のど自慢」をみていました。
今日の「のど自慢」は いつもの ほのぼのした感じではなく
なんというか 伝えたい想いに溢れた切ない感じがしました。
ステージに立った人たちは 被災地の方々に
何も出来ないけど少しでも力になれば・・
遠くに離れているけどいつも応援しています・・
そんな想いが歌に込められていたようでした。

ゲストの八代亜紀さんは白いドレスで「人生の贈りもの」という歌を歌いました。
最近、とても涙もろくなっていて 題名を聞いた時点で泣きそうになりました。

途中で八代亜紀さんが歌えなくなりました。
溢れる思いを必死でこらえているような感じでした。
多分、みんな同じ思いだったと思います、自然と手拍子が起こりました。
私は涙が止まりませんでした。

「生きてみなくてはわからない♪」
と絞り出すように再び歌い始めた八代亜紀さん。
悲しみを胸に抱きながら必死で生きている被災地の方たちのことを思って
歌を聴きながら泣いてました。

さすが・・
これがプロなのか・・
最後まで涙は流さなかったように思います、八代亜紀さん。
ずいぶん前に流行った歌で 八代亜紀さんの化粧のことが歌詞にあり
あの歌のように本当に厚化粧で泣いたらマスカラが大変なことになるのかな、
と意地悪なこともチラッと思いましたが
本当に素晴らしい歌でした!

ありがとうございました、八代亜紀さん。

歌は心のビタミン剤ですね♪

一日も早い復興を心から願ってます。




今年も咲きました [日記]

おととしのクリスマスの頃に咲いていたシクラメンにまた花が咲きました。
去年の酷暑を乗り切り、秋くらいから葉が繁り
そして厳しい冬を越して 花が咲きました。

これは去年の春に二度目の花をつけたシクラメンです↓
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去年の秋くらいまでは葉が出て(もしかして3年目も花が咲くか!)
と期待したのですが冬を越すことができませんでした。
途中で枯れてしまいましたが、最後までよくがんばりました。

そして、これは今年の春に二度目の花をつけたシクラメンです↓
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ピンクの花に春を感じます。

どんな苦しく悲しいことがあっても
どうか希望を胸に・・・
また季節がめぐって花が咲きますように
祈ってます。

泣いちゃいました [日記]

あ~泣いちゃいました。
「アイリス」。。。
このドラマを見始めて、ようやく最終段階になって気づいたことですが
幸せだった昔の頃のキラキラした映像が切ない歌声とともに流れる場面が
号泣ポイントだと・・・

いやな感じだったんですよね、
最後の最後・・・あまりにも幸せ過ぎる雰囲気が・・・
子供は5人欲しいね、とかいう幸福感漂うあのあたり・・・
イビョンホンが撃たれ!!あ、やっぱりと思いましたが
号泣でした。。。

でも、「アイリス」は映画化されるということで
イビョンホンは死んでいないと思って
残りの涙は映画にとっておこうと思ってます。

でも個人的には北朝鮮の工作員のソンファのほうが
スンヒよりもお似合いのような感じがしたんですが・・・

切ないんですよね。
切なすぎるというか・・・
そういうところと銃撃戦という緊迫感が
この「アイリス」というドラマの魅力なんでしょうね。
しかし、今、マッコリで酔っぱらってる私も切ないなあ・・・

でも何よりも切ないのは
イビョンホンの涙でした・・・



ソウル旅行 その後(いきなり!) [日記]

板門店の興奮もおさまり
今は韓国ドラマ「アイリス」にハマっています。
イ ビョンホンの肉体とあの眼差しに参りました。。。
ソウルでマッコリにはまり
イ ビョンホンとマッコリの夜にどっぷり浸かってます。
乾杯!
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マッコリはジンロが味も価格もいいみたい。
おいしくてゴクゴク飲めるので1本を2日で飲むようにしています。
「アイリス」は見始めたら止まらないので
一日一本と決めていますが、いよいよ明日最終回をみます。
最終回・・見たい気持ちと寂しい気持ちと入り混じって複雑です。

イ ビョンホンの腕がたくましくて・・・
毎晩、寝るときに抱き枕を彼の腕だと思って抱きついて眠りにつきます[黒ハート]
こうやって韓流スターに心を奪われていくんですね・・・
遅ればせながら・・・


ソウル旅行 イムジン河 [お出かけ]

私の祖父母と父は終戦時ピョンヤンの近くから引き揚げてきた。
体の弱かった祖母を背負い、4歳の父の手を引いて祖父は帰ってきたと言っていたが
家族だけではなく4人の女学校の生徒も連れて帰ってきたそうだ。
その4人の女学生は祖父を命の恩人と言って
祖父のお葬式にもお参りにきてくださった。

家に押し入ってきたのはロシア軍だったと言っていた。
祖父は腕時計を庭の土に埋めたそうだ。
なにもかも奪われ、着の身着のまま命一つで引き揚げてきた道のりは
想像もつかないくらい過酷なものだったと思う。
引き揚げの途中、まだ4歳の父は「もう歩きたくない」と座りこんで泣いたそうだ。
祖父は「だったら置いていく」と言って木に父を縛り付けた。
そのままだったら父は残留孤児となり違った人生を送り私もこの世に存在しなかったわけだが
しばらくして祖父は引き返し父を迎えに行き
それからは4歳の父も泣かずに一生懸命歩いたと祖父が言っていた。

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写真の中央の白い帯がイムジン河。
昭和20年の夏、この河をたくさんの日本人が命を懸けて渡り祖国を目指した。

私はイムジン河を眺めながら祖父母、そして父の強さを想い心から感謝した。

板門店で北朝鮮のウイスキーを父のお土産に買った。
お土産屋の店員さんは「北の上の人たちも飲んでるよ」と言っていたが
あの親子も・・・飲んでるのかなあ。
私は飲まなかったけど(あやしい感じがした)
父は「おいしかった」と喜んでくれたのでよかった。



ソウル旅行 板門店ポプラ事件 [お出かけ]

1976年板門店で「ポプラ事件」が起きました。
「帰らざるの橋」の近くの北朝鮮側に植わっていたポプラの木の葉が繁り
国連軍(韓国)の監視所の視界を遮るということでポプラの剪定を行いました。
剪定が始まってまもなく
北朝鮮兵士の攻撃があり銃の発砲はありませんでしたが剪定用のナタを奪い
アメリカ陸軍のアーサー・ボニファス大尉とマーク・バレット中尉が殺害されました。
二人が殺害された時間はわずか4分・・・
北朝鮮兵士がどれだけ的確に攻撃したか・・・恐ろしい。
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ポプラ事件の後、国連軍によってポプラの木は切り倒されました。
その切り株の跡が板門店には残っています。
ナタで殺害されたボニファス大尉の名前は
JSA警備隊の通称キャンプボニファスとして今でも残っています。

もし、戦争になったとしたら・・・
北朝鮮の武器は最先端ではないかもしれないけれど
訓練された兵士こそが一番怖い武器なのではないか~と思いました。
(映画の見すぎかもしれませんが・・・)
でも、ベトナム戦争も最先端の武器を持ったアメリカ軍が
べトコンに負けたという歴史もあることだし・・・。
ガイドさんが言っていましたが
休戦調停を結ぶ前に韓国軍は北朝鮮軍をあと一歩というところまで追い込んだそうです。
でもなぜあと一歩およばなかったかというと
真冬の北朝鮮の厳しい寒さと中国軍に妨げられたということでした。
韓国軍を支援していたフィリピン軍の兵士たちは氷点下20℃という慣れない寒さの中
熱いハートを持ちながらも動くことができなかったそうです。
しかも中国軍はドラなどの鳴り物を鳴らし(こんな原始的な戦法で・・と驚きましたが)
韓国軍の恐怖心をあおることに成功したらしいです。
もし、季節が真冬ではなく夏だったならば・・
ひとつの国になっていたかもしれないと。


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「帰らざるの橋」
1953年7月27日、休戦協定が調印されてから南と北の捕虜を交換した橋です。
この橋を渡った捕虜は二度と帰れなかったことから「帰らざるの橋」と名づけられたそうです。

日本は「終戦」ですが、まだ朝鮮戦争は終わっていない「休戦」です。




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