SSブログ

ソウル旅行 イムジン河 [お出かけ]

私の祖父母と父は終戦時ピョンヤンの近くから引き揚げてきた。
体の弱かった祖母を背負い、4歳の父の手を引いて祖父は帰ってきたと言っていたが
家族だけではなく4人の女学校の生徒も連れて帰ってきたそうだ。
その4人の女学生は祖父を命の恩人と言って
祖父のお葬式にもお参りにきてくださった。

家に押し入ってきたのはロシア軍だったと言っていた。
祖父は腕時計を庭の土に埋めたそうだ。
なにもかも奪われ、着の身着のまま命一つで引き揚げてきた道のりは
想像もつかないくらい過酷なものだったと思う。
引き揚げの途中、まだ4歳の父は「もう歩きたくない」と座りこんで泣いたそうだ。
祖父は「だったら置いていく」と言って木に父を縛り付けた。
そのままだったら父は残留孤児となり違った人生を送り私もこの世に存在しなかったわけだが
しばらくして祖父は引き返し父を迎えに行き
それからは4歳の父も泣かずに一生懸命歩いたと祖父が言っていた。

PAP_0275.JPG
写真の中央の白い帯がイムジン河。
昭和20年の夏、この河をたくさんの日本人が命を懸けて渡り祖国を目指した。

私はイムジン河を眺めながら祖父母、そして父の強さを想い心から感謝した。

板門店で北朝鮮のウイスキーを父のお土産に買った。
お土産屋の店員さんは「北の上の人たちも飲んでるよ」と言っていたが
あの親子も・・・飲んでるのかなあ。
私は飲まなかったけど(あやしい感じがした)
父は「おいしかった」と喜んでくれたのでよかった。



nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 4

cjlewis

おじいさま、おとうさま、苦労されたんですね。
ウチの祖父は戦時中、南満州鉄道に勤めていたらしく、
祖母と6歳の母、4歳、2歳、0歳の叔父を連れて、
戦後、満州から引き揚げてきたらしいです。
そうそう、ウチの祖父も知り合いの方に頼まれ、
娘さんを託されたそう。
それはもう大変だったと、、、

20年くらい前、初めて韓国に行ったとき、
屋台で留学中の在日韓国人の子たちと出会い、
彼らの通う大学の近くの店で
韓国製のウィスキーを飲んだのですが、、、
「う~ん、父が学生時代に飲んでたウィスキーって、
こんなんだったのかも!?」って味だった。
(トリスよりもさらに安っぽいカンジ、、、)

by cjlewis (2011-03-01 11:01) 

チョコラ

cjlewis さん
藤原ていさんの「流れる星は生きている」を読んだとき、
おじいちゃんたちの苦労を思って涙が出ました。

板門店の売店には4種類のお酒がありました。
1種類はウイスキーであとの3種類はワインでした。
ワインも角瓶に入っていたのでてっきりウイスキーだと思っていたら
聞いてびっくり!赤ワインでした。
ワインはさらにあやしい感じがしたのでウイスキーを選びました。

ウイスキーはしっかり包装して荷物の中に入れておいたのですが
家に帰って開けてみると
なぜかフタがゆるんでいて少しウイスキーが漏れて箱が濡れてました・・・
北朝鮮の技術だからかなあ。
父も元気だし、大丈夫だったみたいです。





by チョコラ (2011-03-02 23:18) 

Francis

おじいさん、おとうさんのご苦労を思うと、計り知れないものを感じます。
似たようなお話で山崎豊子さんの「大地の子」を思い出しました。
by Francis (2011-03-03 13:55) 

チョコラ

Francis さん

ドラマでもありましたね!
まだ読んでいないので今度読んでみようかなあ。
今は韓国ドラマの「アイリス」にハマってしまい
とにかく最終回までたどり着かないことには・・・
by チョコラ (2011-03-03 23:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。