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ソウル旅行 板門店ポプラ事件 [お出かけ]

1976年板門店で「ポプラ事件」が起きました。
「帰らざるの橋」の近くの北朝鮮側に植わっていたポプラの木の葉が繁り
国連軍(韓国)の監視所の視界を遮るということでポプラの剪定を行いました。
剪定が始まってまもなく
北朝鮮兵士の攻撃があり銃の発砲はありませんでしたが剪定用のナタを奪い
アメリカ陸軍のアーサー・ボニファス大尉とマーク・バレット中尉が殺害されました。
二人が殺害された時間はわずか4分・・・
北朝鮮兵士がどれだけ的確に攻撃したか・・・恐ろしい。
PAP_0268.JPG
ポプラ事件の後、国連軍によってポプラの木は切り倒されました。
その切り株の跡が板門店には残っています。
ナタで殺害されたボニファス大尉の名前は
JSA警備隊の通称キャンプボニファスとして今でも残っています。

もし、戦争になったとしたら・・・
北朝鮮の武器は最先端ではないかもしれないけれど
訓練された兵士こそが一番怖い武器なのではないか~と思いました。
(映画の見すぎかもしれませんが・・・)
でも、ベトナム戦争も最先端の武器を持ったアメリカ軍が
べトコンに負けたという歴史もあることだし・・・。
ガイドさんが言っていましたが
休戦調停を結ぶ前に韓国軍は北朝鮮軍をあと一歩というところまで追い込んだそうです。
でもなぜあと一歩およばなかったかというと
真冬の北朝鮮の厳しい寒さと中国軍に妨げられたということでした。
韓国軍を支援していたフィリピン軍の兵士たちは氷点下20℃という慣れない寒さの中
熱いハートを持ちながらも動くことができなかったそうです。
しかも中国軍はドラなどの鳴り物を鳴らし(こんな原始的な戦法で・・と驚きましたが)
韓国軍の恐怖心をあおることに成功したらしいです。
もし、季節が真冬ではなく夏だったならば・・
ひとつの国になっていたかもしれないと。


PAP_0267.JPG
「帰らざるの橋」
1953年7月27日、休戦協定が調印されてから南と北の捕虜を交換した橋です。
この橋を渡った捕虜は二度と帰れなかったことから「帰らざるの橋」と名づけられたそうです。

日本は「終戦」ですが、まだ朝鮮戦争は終わっていない「休戦」です。




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cjlewis

北が南侵のために掘ったトンネル、
4本しか発見されてないけど、脱北者の証言等によると
20本くらいあるらしい。
どんな武器よりも洗脳された人々ほど怖いものはないと思った。

↓2009年、私が非武装地帯に行ったときの記事です。
http://cjlewis.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03

by cjlewis (2011-02-24 11:14) 

チョコラ

cjlewisさん
覚えてますよ、その記事!
僭越ながらコメントしてましたね、私・・。
ついこの前の記事のような気がしてたのに2009年だったんですね。
第3トンネル・・・行きたかったです。
バスの中で聞いたガイドさんの話が
妙に耳に残っています。
そのことを記事にしていきたいと思ってます。


by チョコラ (2011-02-24 21:41) 

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